福岡朝鮮初級学校の子ども達にお芝居を届けたい

支援総額

1,586,000

目標金額 1,000,000円

支援者
202人
募集終了日
2021年8月26日

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2021年07月10日 00:02

福岡朝鮮初級学校の歴史をたどってみる(1)

 福岡朝鮮初級学校の創立は1960年4月。但し、今の和白の校舎は3ヶ所目である(1973年4月~)。


 日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代、九州には多くの朝鮮半島出身者が強制徴用や「募集労働」で日本に連れて来られ、炭坑や軍需工場で働かせられた。とりわけ福岡県では、筑豊や大牟田をはじめとする炭鉱や八幡製鐵所のような工場、福岡近郊でも西戸崎炭鉱、志免炭鉱、雁ノ巣飛行場や港湾工事などで過酷な重労働を強いられた。

 

西戸崎炭鉱跡地に立てられた「殉職者慰霊碑」。朝鮮人と思われる名前が見える。

 

 敗戦後、祖国への帰還を目指し、博多港には多くの朝鮮の人々が集まった。1942年、日本と朝鮮の間のメインルートだった関釜連絡船(下関~釜山)が需要増で客貨を運びきれなくなり、新たに博釜連絡船(博多~釜山)航路が開設された。敗戦前に米軍の機雷で関門海峡が封鎖されて船舶の航行に支障をきたしたため、朝鮮半島からの引揚船の多くが博多港に到着した。その船の折返し便に乗って祖国へ帰ろうとして九州各地から集ってきたが、日本政府とGHQは日本人の引揚を優先して朝鮮の人々の帰還を後回しにし、また、南北分断と解放後の経済的社会的疲弊による祖国の混乱と悪化の状況の中で、帰るメドの立たない人々が御笠川の両岸等にやむを得ず住み着くことになった。


 朝鮮の人々は1945年8月の解放後、福岡市内の4カ所(大黒町、博多駅前、西戸崎、藤崎)に開設した国語講習所から始まり、1947年に4つの国語講習所を統合し、福岡朝連学校を創立。しかし1949年10月、GHQの「学校閉鎖令」によって福岡県下のすべての朝鮮学校が強制解散に追い込まれた。しかし、福岡市内の日本学校(千代小、大浜小、千代中等)に民族学級を設置し、民族教育の火を灯し続けた。
 御笠川に隣接し博多港にほど近い元・大浜小学校(1958年移転)の跡地(現・福岡市博多区下呉服町)に1960年4月、福岡朝鮮初級学校が創立した。当時、児童213人、教員10人でのスタートだった。

 

当時の大浜の校舎

当時の大浜の校舎



大浜にあった初代校舎の跡地の周辺


 

【参考資料】

「私たちの街の朝鮮学校」と呼ばれるように…
朝鮮学校のある風景 PUBLISHED 2018年5月25日・UPDATED 2018年7月28日
https://www.urihakkyo.com/2018/05/25/hukuoka-csr/

 

〈特集・ウリハッキョの今〉福岡初級/「一心団結」で守りつづけた民族教育
朝鮮新報 2020.10.21
https://www.chosonsinbo.com/jp/2020/10/21-13/

 

(2)に続く

(柴田一裕)

リターン

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応援3,000円コース

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2021年9月

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手作り栞3,000円コース(数量限定)

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