入浴事故ゼロを目指して!今年の敬老の日、孫世代からできること

支援総額

1,079,000

目標金額 350,000円

支援者
212人
募集終了日
2020年9月24日

    https://readyfor.jp/projects/furobalship?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note
2020年09月20日 23:01

〈残り5日 おばあちゃんごめんね。ありがとう〉

 

こんばんは。
カメラマン担当の田中慧です。

明日は敬老の日ですね。

皆さんは、おじいちゃんおばあちゃんとどんな思い出がありますか?

敬老の日前日ということで、僕は自分のおばあちゃんのことを思い出しながらこの文章を書いています。

今回は僕にとって大切なおばあちゃんの思い出を書いてみました。長文ですが、みてくれると嬉しいです。

僕のおばあちゃんは2017年夏息を引き取りました。

僕はおばあちゃんに何も返せなかった。
というより、
僕はおばあちゃんに何かをしようと思った時には
もう既に遅かったに近いように思う。

遅かった、ただ遅かった。

僕はおばあちゃんと小学校4年生くらいから一緒に暮らし始めた。
おばあちゃんが新潟県でひとりで暮らしていたことが心配で、僕の母親が一緒に住もうと提案し一緒に住むことになったと記憶している、

僕はおばあちゃんと良く一緒の空間にいたような気がする。両親は離婚し、母親は一生懸命働いていたから
家にいたのはおばあちゃんだったからだ。

ただ当時のおばあちゃんとの思い出があまり思い出せない。その時おばあちゃんと僕はどんなことを話をして過ごしたのだろうか。

あ、恐ろしい記憶は思い出した。
おばあちゃんに僕がハンガーを投げるという事件だ。
その時友達がいて、何があった覚えてないけど、
おばあちゃんにハンガーを投げた。
そしておばあちゃんも僕に何かを投げた。
おばあちゃん は激昂していて、僕は友達がいるので見栄を張りちょっとふざけている雰囲気を出していたような感じだ。
こうして考えると、おばあちゃんをからかったりしていたような気がする。
きっと「僕を見て」ということだったのだろうけど、
今を思い返したらひどい話だし、ごめんと直接謝りたい。

そんなおばあちゃんをからかっていた当時の僕は、
お小遣いをよくねだっていた。母親にバレないようにコソコソとおばあちゃの部屋に行ってはおばあちゃんに「お小遣いが欲しいな…」なんてその時だけ子犬のように都合よくねだっていた。
そんな僕におばあちゃんはよくお小遣いをくれた。
「シー」っとお母さんにバレないように、僕とおばあちゃんだけの秘密と言わんばかりに。
僕はそんなお小遣いを握りしめて、駄菓子屋でお菓子を買ったのであったし、流行りの遊戯王のカードを買ったりしていて友達と遊びを謳歌していた。

そんなおばあちゃんが少しおかしくなった。
おばあちゃんは時々、僕を亡くなった兄の名前で呼ぶようになった。「お母さん!」とおばあちゃんは自分の娘(僕の母)を連呼し何かを訴えるような日も続いた。おばあちゃんは時折よくわからないことを言うようになった。そして粗相することも多かった。場所を問わず。そんなおばあちゃんを母は仕事が終わった後に世話をしていた。
時々母とおばあちゃが喧嘩をすることもあった。母はその当時少しハゲができるくらいだった。

僕はその時どうしていたのか?
僕は中学生になっていた。中学生の僕は、家のことに目をとにかく背けていた。あれだけおばあちゃんと一緒の時間を過ごしたり、よくしてもらったことはなかったかのように関与しないようにしていた。
おばあちゃんが以前のように元気じゃなくなった姿に、ただただ何もせず僕はの僕のことだけと逃げた。

そんなおばあちゃんは施設に行くことになった。
母は仕事終わりにおばあちゃんのところに行っていた。僕は高校生になっていた。

「おばあちゃのところに顔を出してあげて」
そう言われて、僕はおばあちゃんの所へ顔を出しに行った。僕は後ろめたさ一杯だし、怖かった。
施設に足を運ぶと、そこにはベットに横たわっているげっそり痩せた弱々しいおばあちゃんがいた。
そんなおばあちゃんの姿を見て、僕はおばあちゃんに優しく接するようになった。僕のサッカー部での話、大好きなテレビやアニメの話、学校の話様々な話をおばあちゃんに話をした。おばあちゃんぽかーんと僕の話を聞いていた。

僕は大学生になった。早稲田大学に入学をしたと言う話をおばあちゃんに話をした時喜んでくれた。
おばあちゃんは歌が好きだ。歌謡曲などが好きだったし、テレビののど自慢などをよく見ていた。
だから?なのか、早稲田の校歌をおばあちゃんに照れながら歌ったりした。以前にもましてげっそりしたおばあちゃんは手叩きをして聞いてくれて喜んでくれた。

大学生になって、おばあちゃんのところにいくのが実家に帰ったタイミングで顔を出すようになった。
おばあちゃんは亡くなった兄の名前で僕を呼ぶことはあったけど、僕に笑顔を見せてくれることも多かった。そんな姿に何故だか涙が滲んでるくるのだった。
痩せ細くなってしまったおばあちゃんの手を取り、
「長生きしてくれ、俺のお嫁さんの顔も見せたいし、子供だって見せたいんだから。後20年は生きてもらわなくちゃ困るんだからね」と。

翌年2017年の夏、お母さんから茨城に戻ってきてと連絡があった。「おばあちゃんは亡くなった」と。
突然だった。僕はすぐに茨城に戻った。
冷たくなったおばあちゃんの姿がそこにはあった。
そんなおばあちゃんの姿を見て、涙がただ流れた。

おばあちゃんをからかったことを謝れなかった。
おばあちゃんに甘えさせてもらって、沢山くれたことにありがとうと伝えられなかった。
おばあちゃんが大変だった時に、目を背けて無関与だったことを謝れなかった。
おばあちゃんにもっと俺のこと見て欲しかったよ。

おばあちゃん、ごめんね、今までありがとうね。

そんな気持ちで一杯だった。
本当に「死」と言うのは突然くるんだと思った。
僕はおばあちゃん に優しくしたのは、逃げたことへの贖罪だったのかもしれない。
けど僕はおばあちゃんの笑顔が大好きだった。
おばあちゃんに迷惑ばっかりかけたが、大好きだった。

今回敬老の日yuyuプロジェクトに参加して、
おばあちゃんとの大切な忘れていた記憶が蘇った。
もうおばあちゃんは会えないけど、ごめんね・ありがとうと伝えたいです。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
義務感から来るものではなく、
「おじいちゃん・おばあちゃんにありがとうと伝えたい」と思う人は是非明日の敬老の日に伝えてみてください。

残り5日。おじいちゃんおばあちゃんを笑顔にしたいし、自分も笑顔になりたいという純粋な思いでやっている友人のプロジェクトに携さわりました。
最後まで走ろうと思うので、応援よろしくお願いします!

 

 

 

 

2020年9月20日 さとる

リターン

1,500


【学生限定】YuYu応援団 「祖父母へ”ありがとう”」

【学生限定】YuYu応援団 「祖父母へ”ありがとう”」

●入浴法ポスター(A4)
●YuYu入浴剤(ランダム1個)
●YuYuポストカード(ランダム2枚)

*こちらは、学生の方のみとさせていただきます。
*学生以外の方からご支援があった場合は、入浴法ポスターのPDFデータと共にお礼メールのみ、お送り致します。

申込数
100
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年9月

3,000


Furobalship応援コース

Furobalship応援コース

●お礼メール
(入浴法ポスターのPDFデータと共にメンバーから感謝の想いをメールにて送らせていただきます!)

申込数
14
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年9月

1,500


【学生限定】YuYu応援団 「祖父母へ”ありがとう”」

【学生限定】YuYu応援団 「祖父母へ”ありがとう”」

●入浴法ポスター(A4)
●YuYu入浴剤(ランダム1個)
●YuYuポストカード(ランダム2枚)

*こちらは、学生の方のみとさせていただきます。
*学生以外の方からご支援があった場合は、入浴法ポスターのPDFデータと共にお礼メールのみ、お送り致します。

申込数
100
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年9月

3,000


Furobalship応援コース

Furobalship応援コース

●お礼メール
(入浴法ポスターのPDFデータと共にメンバーから感謝の想いをメールにて送らせていただきます!)

申込数
14
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年9月
1 ~ 1/ 17


最近見たプロジェクト

もっと見る

あなたにおすすめのプロジェクト

注目のプロジェクト

もっと見る

新着のプロジェクト

もっと見る