
支援総額
目標金額 2,500,000円
- 支援者
- 196人
- 募集終了日
- 2023年10月25日
『松竹座ニュース』ご紹介その4 表紙絵を描いた人たち(その1):山田伸吉と川村秀治
お早うございます。松竹大谷図書館の武藤祥子です。
現在126名の方から156万5千円のご支援をいただき、達成率が62%、目標額まであと94万円となりました。プロジェクトの募集終了まであと14日!より一層のご協力・応援を何卒よろしくお願い申し上げます。
今回は、「松竹座ニュース」の表紙絵についてご紹介します。
プロジェクト概要でも触れましたが、大阪松竹座で無料配布されていたプログラム「松竹座ニュース」は、その表紙絵もまた魅力のひとつでした。週毎の発行という頻度にもかかわらず、毎号デザインが変わり、数多の絵が表紙を飾って劇場を訪れた観客を楽しませていました。特に、大正末期より昭和6年頃までの「松竹座ニュース」は、当時のモダニズムを色濃く反映しており、さながら絵画を観賞するかのようです。
表紙絵を描いた人の名前は記されていませんが、なかにはサインが施されているものもあります。今回は「松竹座ニュース」の表紙絵を描いた、山田伸吉と川村秀治の2人をご紹介します。
当館が所蔵する「松竹座ニュース」の表紙絵を描いた人物でもっともその数が多いのは、山田伸吉です。その表紙絵のデザインや画風も実にバリエーション豊かです。
右下に「伸吉画」のサイン
左下に「SHIN-」のサイン
「松竹座ニュース(SY)」No.43(昭和9年(1934)年3月20日)
左下に「SHIN-」のサイン
山田伸吉は松竹座宣伝部に所属し、松竹座のポスターや「松竹座ニュース」の表紙絵を描きました。また、松竹楽劇部で舞台装置・舞台意匠を担当し、「春のおどり」をはじめとした多くの舞台に携わり、「松竹座ニュース」やプログラムにその名がよく見られます。また楽劇部だけでなく、海外の舞踊団や古川ロッパの公演なども手がけました。
左)山田伸吉(舞台装置・大阪松竹楽劇部) 右)青山圭男(振付・松竹少女歌劇)
【映画と演芸臨時増刊「レヴュウ号」特集
(朝日新聞社、昭和8(1933)年5月20日発行)】
「松竹座ニュース」には、山田伸吉が表紙絵と舞台の装置・意匠をそれぞれ手がけたことがわかる号があります。
右下に縦書で「”青い鳥”妖女の御殿舞台之図・山田伸吉画」と印字されています。『青い鳥』は、現在でもお馴染みのメーテルリンク原作の童話劇で、松竹楽劇部が総出演しました。この作品は四週連続で上演され、その全てに山田伸吉は大森正男とともに舞台意匠で参加しています。この表紙絵の舞台図「妖女の御殿」は2幕目にあたり、第1週に上演されました。

「松竹座ニュース」VII・V( 7・5)号(大正15(1926)年9月2日)『青い鳥』あらすじと配役・スタッフ一覧
このように舞台美術家として活躍した山田伸吉ですが、一方で本の装幀や雑誌の挿絵なども手がけています。以下の写真の資料はいずれも、当館で閲覧できる山田伸吉の関連資料です。
『新・おんながた考』(長谷川幸延著、昭和45(1970)年読売新聞社)
『大阪芸人かたぎ』(長谷川幸延著、昭和52(1977)年読売新聞社)
左下より『木戸哀楽 新派九十年の歩み』(柳永二郎著、昭和52(1977)年読売新聞社)
『道頓堀物語 小説 上方芸人譜』(三田純市著、昭和53(1978)年光風書店)
中座や歌舞伎座、角座、東京劇場などのスケッチを描いた。
手前に昭和53 (1978)1月号、2月号、奥に3月号-12月号
そしてもうひとつのサインの人物、川村秀治(川村芳久)をご紹介します。戦前は松竹歌劇の舞台装置を手がけ、戦後は映画の美術監督として30作以上の作品に携りました。
右下に「秀治」のサイン
左下に「歌舞伎子役楽屋之図 秀治画」のサイン
この2冊にはどちらも漢字で「秀治」のサインがあります。「懐かしの復刻版 プログラム映画史 大正から戦中まで」(昭和53(1978)年、日本放送出版協会)で、元浅草電気館支配人の山野雅章が、昭和5(1930)年に松竹座図案部に入社した当時の話として「大阪の山田伸二先生のところで修業した川村芳久(秀治)先生がわたしの師でもあり、職場の上司でした」と述べています。文中の「山田伸二」は「山田伸吉」のことと思われ、川村秀治と山田伸吉の関わりが推測できます。
また、「キネマ旬報別冊 日本映画人大鑑」(昭和34(1959)年キネマ旬報社)には映画の美術監督として「川村芳久」の名があり、別名として「川村秀治」の名も記されています。また、「昭和3(1928)年に松竹本社嘱託となり昭和6(1931)年に松竹少女歌劇「先生様はお人好し」を担当、以来舞台装置に専心」とあり、戦後の昭和25(1950)年に松竹京都撮影所に転じて美術監督となったことが書かれています。
当館の所蔵資料で調べてみますと、東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団(SKD))発行の雑誌「楽劇」昭和7(1932)年4月号には、「一つの経験 自分の至らなさのべんかい」と題した川村秀治のエッセイが掲載されています。浅草松竹座がレビュー劇場になったときに支配人から勧められて舞台装置を始めたこと、初めての舞台「先生様はお人好し」や二回目の「海」のことや舞台装置の仕事を始めたばかりの苦心や反省などについて、2ページにわたり語っています。

雑誌「楽劇」昭和7(1932)年4月号

浅草松竹座「SHOCHIKU REVIEW NEWS」No.2(昭和6(1931)年6月15日)。楽劇「海」のスタッフ一覧に「意匠」として川村秀治の名前がある

また、映画の資料としては、いずれも川村秀治が美術を担当した映画のプレスシート(部分)のスタッフ欄に名前があります。左は昭和26(1951)年2月24日公開の『嵐の姉妹』(佐々木康監督)で「川村秀治」とありますが、映画の美術監督としては「川村芳久」の名での活動がほとんどで、右の同年8月10日公開の『夏祭り三度笠』(丸根賛太郎監督)では「川村芳久」となっています。
他に、当館が所蔵する資料では、昭和20年代の新橋演舞場プログラムに川村秀治の名前があり、表紙絵を手がけていたことが分かります。

新橋演舞場プログラム 「表紙 川村秀治」と名前が印刷されている
上左より: 昭和23(1948)年5月「第一回文藝公演」プログラム、「新橋演舞場ニュース筋書No.2」
下左より:昭和23(1948)年8月「納涼八月歌舞伎」プログラム、「新橋演舞場ニュース筋書No.5」
また川村秀治も図書の装幀や雑誌の挿絵も手がけており、山田伸吉と同様に活動は多岐にわたっていたようです。このように、「松竹座ニュース」の表紙絵を手掛けたふたりの芸術家の軌跡はとても興味深いものがあります。
次回は、「松竹座ニュース」で名前が判明していないサインの表紙絵を、画像でご紹介します。
リターン
3,000円+システム利用料
活動報告+サンクスメール+HPにお名前掲載
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■松竹大谷図書館HPへのお名前掲載(ご希望の方のみ)
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