仙台の爆撃中心点(MPI)銘板再工事にご協力をお願いします

支援総額

784,000

目標金額 700,000円

支援者
71人
募集終了日
2022年5月16日

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2022年03月26日 00:31

機銃掃射されたときは8歳だったの。ウクライナの人がかわいそう

3月24日。春の日差しを感じながら,石巻市鮎川へ空襲体験者のお話を聞きに行きました。

会の活動は仙台空襲だけではなく,県内全域での空襲体験を伺いながら,空襲時間,場所の特定を行っています。

 

                牡鹿半島ビジターセンター

               (※参加者顔写真許可いただきました)

 

この日は3人の方にお会いし,鮎川空襲のお話を伺いました。

鮎川では1945年6月10日(B-24哨戒機による空襲),8月9日・10日は艦載機による空襲で町民の犠牲が出ています。

その中でも,1937年生まれのSさんのお話は初めて聞くことでした。

「天気の良い6月だったの。頭の上をキラキラした飛行機が飛んできたの。そんで畑にいた私たちはバンザイしたのよ。

そしたら急にこっちに向かって低空飛行しながら,撃ってきたの」

バツバツバツバツッ

撃たれた弾が星みたいに光った。一瞬見とれていた彼女に大人たちが叫んだそうです。

「伏せろ!」

 

8歳だったSさんは今でも,機銃掃射の音を覚えているそうです。よく言われるダダダという音ではなく,「バツバツバツバツ」という音。爆弾は耳をつんざくような音だったと言います。

「だからね,今ウクライナの話を聞くとかわいそうでしょうがないの」

 

もう一人のKさんは仙台空襲後の12月に鮎川に疎開してきた方。仙台空襲の時,防空壕に入ったことを聞きました。

空襲当時,4歳だったOさんは,子供ながらに当時の兵舎に鉄砲の大きなモニュメントがあったと記憶しているということでした。

 

テレビで戦争を身近に観る今,戦争が日常であった身近な方々の声を聞くことも大切にしていきたいと思っています。

ここまで書いて,また仙台は揺れています。

皆様,ご安全に。

 

 

リターン

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感謝のメール

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気軽に支援できる金額でとの要望をいただきました。ご支援よろしくお願いいたします。

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礼状(pdf)

礼状(pdf)

・礼状には活動報告書も含みます。
領収書不要の方,住所欄に「不可」とお書きください。

申込数
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