「森光さんの結晶はここに」フードコラムニスト　門上武司

2016年の晩夏。私は「珈琲美美」のカウンターでヤンニハラールモカを飲んでいました。福岡県うきは市で取材を終え、福岡空港に向かう途中で寄ったのです。優しい酸味にすっかり魅せられ、その余韻に浸っているところでご主人の森光宗男さんがにこやかな笑顔で「じつはこの『ねるっこ』という道具を作ったのです。もう少し手直しをして10月にはデビューします」と話してくださった。

森光さんが、ネルドリップで淹れる姿を凝視するのが「美美」に伺う楽しみでした。そのスタイルに憧れ、特徴あるネルドリップをいまも愛用しコーヒーを淹れています。一滴目が静かに落ちる瞬間の緊張感。ポットから滴る湯が、茶褐色に変わってゆくさまにいつもうっとりしていました。森光さんがネルドリップについて書かれた文章があります。「師匠・故標交紀マスターの一杯がダイヤモンドのコーヒーと呼ばれていたのは一点の曇りもないクリアな液体だったからでしょう。コーヒーも不純物が多いと濁ってしまう。けれども適度なオイル分は残したい。なぜならコーヒーの命である香りは、オイル分にしか溶け込まないから。これらの条件を充たすのが、ネルドリップ抽出なのです」。これをいつも念頭に置かれ「ねるっこ」の開発に携われたのでしょう。「もう少し手直しが必要です」と話された裏側には、それまでに至る苦労と研鑽が多くあったと想像しました。妥協を許されることがない森光さんの姿勢に、またネルドリップについて思いを巡らす機会をえたのでした。

それから数ヶ月後、森光さんは突然鬼籍に入られたのです。それを知ったときの哀しみにしばし途方にくれたものです。

今年に入り、取材で訪れた松山や鹿児島のコーヒー店で「ねるっこ」の姿を見た時。昨年嬉しそうに話された笑顔が浮かび上がり「森光さん、あなたの結晶はここで元気に息づいています」とこころの中でかたりかけていたのでした。

フードコラムニスト 門上武司

http://www.geode.co.jp/column/kadokami/