歴史の宝庫「石清水八幡宮文書」を未来へ|第1弾『石清水と天下人』
歴史の宝庫「石清水八幡宮文書」を未来へ|第1弾『石清水と天下人』

支援総額

18,612,888

目標金額 15,000,000円

支援者
389人
募集終了日
2023年5月31日

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2023年05月26日 17:33

ひめくり石清水(5月21日)亀山院御倖

亀山院御幸(かめやまいんごこう)

 

 弘安8年(1285)5月21日、亀山上皇が石清水八幡宮に参詣し、本殿にて御如法経(法華経を写経して奉納)なされました。前日の20日は、姞子(きっし)上皇后が参詣しています。21日にともに京都に還御されました。

 

 亀山天皇(1249~1305)の在位は、正元元年(1259)から文永11年(1274)の鎌倉後期です。後嵯峨天皇の皇子・恒仁(つねひと)で、母は西園寺実氏(さいおんじさねうじ)の女子、大宮院姞子(きっし)です。

 

 後嵯峨院の意志によって即位したので、兄・後深草上皇との関係が悪化し、大覚寺統と持明院統の対立がおこりました。後嵯峨院が亡くなると、院政をとりました。雅楽・和歌・儒教・仏教など諸芸学門を愛好、南禅寺の開山に尽力しました。弘安10年に出家し法皇となりました。亀山天皇は、弘長2年(1262)3月26日にはじめて行幸しています。上皇としては、直後の文永11年4月19日にはじめて御幸され、同年11月8日には、異国賊徒の敗滅を御報賽されています。

 

 すなわち、10月20日未明に博多湾に上陸した蒙古軍は大宰府まで攻撃しましたが、同夜の暴風で多くの被害をうけた軍船は高麗へ撤退したことにたいし、報賽(祈願成就の御礼参拝)されたのです。

 

 後嵯峨上皇や御深草上皇は、毎年のように石清水参詣をおこない、とくに後嵯峨院は七ヶ日参籠し、文永8年には異国降伏祈念をしています。亀山院もおなじく、社頭に参籠して祈祷、弘安の役に際しては、弘安4年(1281)6月に異国降伏を祈願、閏7月には愛染明王尊勝法の秘法がおこなれ、8月15日に御報賽、石清水放生会を叡覧しています。

 

 石清水八幡宮所蔵の「宮寺縁事抄」によれば、弘安7年4月4日、亀山上皇が御幸し、叡尊以下400人余の律宗の僧侶が大乗経轉読の法会が催されています。叡尊らの降伏祈祷のことは『八幡愚童訓』にも記されています。筥崎宮の伏敵門には、亀山院が奉納した紺紙金泥の「敵国降伏」の宸筆(しんぴつ)が掲げられています。

 

 

水無月の大祓いに設置される茅の輪

リターン

5,000+システム利用料


A:竹しおりコース

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感謝の気持ちを込めて、竹しおりをお送りいたします。

●お礼のお手紙
●ご芳名1年間顕彰
●竹しおり 2枚

申込数
166
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年12月

10,000+システム利用料


B:特製御朱印コース

B:特製御朱印コース

クラウドファンディング限定の御朱印をお届けいたします。

●お礼のお手紙
●ご芳名1年間顕彰
●特別御朱印 1枚

申込数
183
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年12月

5,000+システム利用料


A:竹しおりコース

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B:特製御朱印コース

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