
支援総額
目標金額 5,000,000円
- 支援者
- 494人
- 募集終了日
- 2024年1月8日
土佐に真田信繁の後裔?!武田勝頼土佐の会
真田庵修繕プロジェクトを応援します!
みなさま、はじめまして。
土佐(高知県)には、武田勝頼公に纏わる神社仏閣や家が広く分布し、現在でも祭祀・伝統が継承されています。
「武田勝頼土佐の会」は、有志の皆様の情報収集をはじめ多くのご支援を受け、2008年に発足して以来、日本全国の武田氏を顕彰する会とも連携を図ってまいりました。
近年では、土佐にも真田信繁の後裔や山本勘助の伝承に関する史跡が現存し、信濃甲斐から紀州を経由してきた信濃、甲斐源氏の氏族が多いことにも注目をしております。
この度「紀州九度山真田庵」の劣化が顕著であり、喫緊の修繕に向けてこの度「真田庵修繕プロジェクト」が起こされました!
どうぞ皆様のお力添えを宜しくお願いいたします!
武田勝頼土佐の会
武田勝頼公落ち延び説
名だたる戦国武将・武田信玄の四男である甲斐武田家20代当主武田勝頼公は、定説では天正10年(1582)天目山で自害したとされています。
高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、武田勝頼公は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ち延びたとされています。
その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍しますが、慶長14年(1609)8月25日に64歳で逝去され、鳴玉神社に葬るとの記録が残されています。
玄蕃祭りの由来
天正14年6月15日、八幡宮が武田勝頼によって建立され、その時に武田勝頼が霊魂を沈め、病送りの「玄蕃祭り」を伝えたとされています。
地元にあった豊年踊りに武田勝頼(大崎玄蕃)も入って踊ったことから、玄蕃踊りと命名されたと云われています。
そもそも大崎玄蕃というのは、律令制の中の外交をつかさどる役職名で、勝頼は天目山より落ち延びて土佐に来た時はまだ「左内」という名に変名して大崎村に居住しました。八幡宮を建立してからは「大崎玄蕃」と名乗ったそうです。
以来、437年もの間、神事を絶やす事なく地元の行事として続けられてきました。
リターン
5,000円+システム利用料

A│全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 117
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
10,000円+システム利用料

B|全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 65
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
5,000円+システム利用料

A│全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 117
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
10,000円+システム利用料

B|全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 65
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月

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