
支援総額
目標金額 5,000,000円
- 支援者
- 494人
- 募集終了日
- 2024年1月8日
【あと2日】とうとうカウントダウンモードに!!シェアまつりに援軍をお願いします!
幸村か信繁か
現存する史料によれば、正しい名前は「信繁」ということになります。
「幸村」の名は寛文年間に成立した『難波戦記』に記されたのがはじめとされます。史実とは異なるとはいえ、幸村という名も歴史が古く、多くの人名辞典で信繁の別称として扱われています。
①『真田丸』図録によると、寛文年間に成立した大坂の役での信繁の活躍を描いた軍記物語『難波戦記』で信繁が「幸村」と表され、江戸時代中期に成立した『真田三代記』でもそれを引き継ぎ、ついには幕府官撰史書『徳川実紀』などの歴史書の類でも「幸村」として記載されるようになる。
②「予備知識なしでもわかる基本の基本真田Q&A」によると、史料の観点からは「信繁」が正しい。「幸村」は恐らく徳川幕府を憚って付けた名前であるしながら、とはいえ「幸村」が完全な誤りとも言い切れないのは、信州松代藩の正史にも「幸村」と記されているため。幸村と名付けられたのは江戸幕府を憚ったためと、同時代の人物を題材にすることは禁じられていたためか(『忠臣蔵』も時代と名前を変えている)。
③「Q&Aで信繁を読み解く」によると、実名はあくまでも「信繁」だが、武将は苗字と官途名や受領名で呼ばれるのが普通(信繁ならば「真田左衛門佐」)なので、正しい諱(いみな)が忘れられるのは珍しくない。幸村と名付けたのは江戸幕府を憚ったためか。
現存する書状では、真田幸村の署判には、宛所によって弁、信繁、左衛門信繁、左衛門佐信繁、左衛門入信繁、左衛門佐、真左衛信繁、真好白信繁、真左衛入信繁、真左衛門佐信繁、さへもんのすけなどが確認されています。幸村の名は見当たりません。
現在把握されている真田信繁書状は17点とされています。
宛所は、豆州(真田信之)参、左衛門丞(河原綱家)との、諏訪久三殿、安中平三殿、原半兵衛(昌貞)殿、河原右京助(綱家)殿御報、池田長門守(綱重)殿、蓮花定院様、左京殿参、木土佐守(木村綱成)殿□返報、壱岐守(小山田茂誠)殿御報、むらまつへまいる、石合十蔵殿、小壱岐様(小山田茂誠)、同主膳殿(小山田之知)御報などで、兄信之や姉(むらまつ)、娘婿(小山田茂誠)、義理の息子(石合十蔵)など身内に宛てた私文書が目立ちます。
直木賞作家 今村翔吾さんの「幸村を討て」
ではなぜ「信繁」に付けられた名前は「幸村」だったのでしょうか。
これについては諸説あり、『難波戦記』の作者が、幸村の子孫が仕えている仙台藩の藩主、伊達綱村の名前を由来とするものや、幸村の姉である「村松殿」の「村」と、真田氏の諱である「幸」を組み合わせたものであるとも・・・。また、徳川家に仇をなす「村正」の「村」と、真田氏の諱である「幸」と組み合わせたのではないかという説も残されています。
他にも、父・昌幸が、当時仕えていた武田信玄の弟、武田信繁の名前をもらった事にあると言われています。この武田信繁という武将は信玄の4歳下の弟で、信濃攻めなどで活躍しましたが、川中島の戦いで戦死しています。当時の名前の付け方として、昔活躍した名将の名前をそのまま使うという事は珍しくありませんでした。
戦国時代の名前はとても複雑です。なぜなら生まれたときの名前が元服や出世、出家により変化していくからです。
初めての名前は「幼名」で、元服すると「諱」が与えられます。
・基本的に漢字2文字
・一族で代々使っている文字や主君から賜った文字を1字入れる
などの名づけのルールが存在しました。
また「仮名」にも生まれた順につけるなど、ある程度の約束事がありました。真田幸村は源二郎、信之は源三郎なので、もしかしたら幸村こそが真田昌幸の嫡男だったのかも知れません。
ぜひ、今村翔吾さんの「幸村を討て」を読んでください。
ご存じの方も多いかとは思いますが、「真田幸村」の正しい名は「信繁」。「幸村」という名が初めて使われたのは、家康の本陣まで攻め込んだ姿が「日本一の兵」と評された大坂の陣から60年後の江戸時代。その活躍が講談で語られる時、「幸村」の名前が使われたことで浸透していった。いわば、虚構の中の名前なんですね。しかし、現代でも「幸村」の名前の方がよく知られていますし、歴史家の先生でも「信繁」の後に、必ずと言っていいほど「一般的には幸村と知られている」と補足してしまう。
「幸村」という名前の、この絶対的なパワーはなんだろう。もし、「幸村」という名を後世に残すための仕掛け人がいたとしたら……。そんな想像を膨らませ、「幸村」の名の謎に迫ることを物語の一つの柱としました。
幸村を討て特設サイト
https://www.chuko.co.jp/special/yukimura/
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リターン
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