沢知恵 大好きな岡山県立図書館でコンサートをして映像化したい!
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支援総額

796,000

目標金額 600,000円

支援者
109人
募集終了日
2024年9月30日

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2024年08月14日 09:42

茨木のり子さんからの手紙

 

沢さんが金素雲氏のお孫さんであられるとは驚きでした。お目にかかったことはないのですけれど、十五才くらいで読んだ『朝鮮民謡選』は、今も大好きな本で、これによって朝鮮への眼がひらかれたなつかしいものです。

 

2005年7月6日付けで茨木のり子さんから届いた手紙です。

アルバム『わたしが一番きれいだったとき』に《わたしが一番きれいだったとき》《自分の感受性くらい》の2曲を収録するにあたり、茨木さんの許諾を得るため、デモCD-Rと手紙を送ったことへのお返事でした。

濃い鉛筆で鳩居堂の便箋にたっぷり書かれた文字。

うわあ、本物だあ。ふるえました。

私があてた手紙の最後に「実は金素雲の孫です」と書いたことに、茨木さんはそれはそれは驚かれたと思います。

 

私だって驚きました。

茨木さんのエッセイ集『ハングルへの旅』の中で、50歳近くになって韓国語を学び始めた動機は、10代半ばで読んだ金素雲の『朝鮮民謡選』であったと書いてあるのです。

おじいちゃんじゃん!

大好きな詩人が祖父の影響で韓国に眼が開かれ、その詩人の詩を孫の私がうたっているって・・・

もしニーナ・シモンの孫が私のうたをうたっていると聞いたら・・・

ちょっと飛躍しすぎたかな。

 

初めての子育てと重なり、落ち着いたらごあいさつにうかがいたいと思っていたら、茨木さんは翌年の2006年2月17日に亡くなりました。

数週間後、私あてに茨木さんから封書が届きました。遅配?

それは茨木さんが生前用意したお別れの手紙でした。

たった一度手紙のやり取りがあった私にまで送ってくださったのです。

私は手紙を握りしめて空を仰ぎ、「茨木さんから受け取ったバトンをにぎりしめてうたっていきます」と誓いました。

 

主のいなくなった茨木邸におじゃまして、甥御さんの宮崎治さんとお連れ合いの宮崎薫さんとお会いし、茨木さんの生活空間でさらにインスピレーションを受けたことが、その年のクリスマス、「りゅうりぇんれんの物語」弾き語りへとつながりました。

 

若い詩人 尹東柱

一九四五年二月 福岡刑務所で獄死

それがあなたたちにとっての光復節

わたくしたちにとっては降伏節の

八月十五日をさかのぼる僅か半年前であったとは

(茨木のり子「隣国語の森」より)

 

79年目の8月15日を前に、光復と降伏の両方をあわせもつ私は、与えられた使命をひしひしと感じています。バトンをにぎりしめながら。

 

 

 

 

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