徳川家康公の平和に対する深い想いを、世界中の人に知ってもらいたい!
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支援総額

2,925,000

目標金額 2,650,000円

支援者
147人
募集終了日
2022年2月22日

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2022年01月25日 07:29

人質ではなかった竹千代

 徳川家康公の幼名「竹千代」と聞くと、合言葉のように出てくるのが「人質」ですが、確かに政争の〝道具〟として親元から引き離され、尾張(名古屋)や駿府(静岡)に置かれましたが、その言葉から受けるイメージとは大きく違う扱われ方でした。住む場所や行動範囲は限定されていましたが、行動に関してはかなりの自由が認められていたのです。

 

 駿府の今川方においては幼い頃から英才教育がほどこされました。

 教育係の太原雪斎(たいげんせっさい)は、始めは禅問答から入り、それから四書五経(論語など)を使って教えていきました。それで読書好きになった竹千代は〝本の虫(読書好き)〟になり、挙句は近眼になってしまい当時としては珍しい眼鏡をかけていました。

 武術や戦術についても軍師でもあった雪斎から高等教育がなされた、と数々の記録にあります。今川方の重臣に育て上げようとしたのです。

 

 母から引き離された竹千代の養育に当たったのは、祖母の源応尼(華陽院)でした。源応尼は、竹千代の母お大の方の実母で、当時は駿府の智源院に住み、手習いなどの教育にも当たったと言います。

 

 12歳(満年齢)で元服すると、15歳にして初陣。織田方の寺部城を陥落させて勝利をおさめています。

 その前年には主君今川義元の姪と結婚しています。そして17歳(満年齢)までに長男長女が生まれました。

 

 こうしてみると、竹千代の「人質生活」のイメージはだいぶ変わりますよね。

リターン

5,000


夫婦で経営するGlobal Studies Cafe でコーヒーご馳走

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●感謝のメールをお送りします
●夫婦で経営するGlobal Studies Cafe でコーヒーご馳走

申込数
45
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年3月

10,000


特製Tシャツとコーヒーご提供

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●感謝のメールをお送りします
●夫婦で経営するGlobal Studies Cafe でコーヒーご馳走
●「厭離穢土 欣求浄土」特製Tシャツ贈呈

申込数
110
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年5月

5,000


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