優しい歌で医療福祉に貢献し、神経難病研究に寄付したい!
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支援総額

3,332,000

目標金額 3,980,000円

支援者
157人
募集終了日
2024年8月8日

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2024年06月16日 10:00

父の日です

yosuです。

今日は活動報告というよりも、普通のブログを綴ってみます。


 

 

 

さいきん、ようやく泣く事ができるようになりました。

 

何を言ってるんだ…と、思いますよね。

 

クラウドファンディングを始める前、

 

この想いの背景にあった父の闘病生活のことを

 

こういう形で公にすることにずっと抵抗がありました。

 

今も、抵抗が無いと言えば嘘になります。

 

それでも、自分の想いの経緯をお伝えしなければ、周りの方からの”なぜ急に?”ばかりが大きくなってしまうだろうし、

 

最終目標が寄付や社会貢献である以上、プロジェクトの信憑性に欠けるのではと、自分なりに判断をしました。

 

 

 

 

 

昔から、感情を瞬時に出せるタイプではありませんでした。

 

感情はちゃんとあります。もちろん、人間なので。

 

でも、特に負の部分で瞬発的に感情や言葉を出している状況に遭遇すると驚いてしまう事が多く、自分ではいまだにその方法がわかりません。

 

 

なにかあっても一旦静かに考えてしまう、と言った感じです。

(診断結果では、私はINFJらしいです。流行りに乗っかってみましたが本当なのでしょうか)

 

 

 

自分の職業自体が華やかな部類に入るので意外がられるかもしれませんが、どちらかというと空気を読んでしまうタイプで育ってきました。

 

だからなのか、学生時代学級委員や部長や実行委員長ばかり任命されてたのかもしれません。

やりたかったわけではありません。そのせいで辛いこともたくさんありました。

 

ただもちろん常に目標を掲げて生きてきたので意志は常に磨こうと精進していますし、学んだことも計り知れないほどにあったと思います。

 

 

 

 

 

 

しかし瞬発的に感情を出すのが苦手なのは、芸術家としては致命傷なのではないかと、いまだに思う事があります。

 

だから、というわけではありませんが

 

出せなかった感情や思いを作品に昇華させることももちろんありました。

 

ビジネスとしての音楽と、ただただ自由に表現したい音楽は同じではないので

(そのバランスが取れてこそプロなのでしょうが、私はまだ自分の理想とするバランスの境地には立てていないかなぁと思います)

 

このバランスはいまだにジレンマがあります。

でも、棲み分けはできるようになりました。

 

 




 

 

 

人生で初めてクラウドファンディングに挑戦して、色々新しい気付きがありました。

 

新しいチャレンジというのは大変ですが、

大変というのは、"大きく変わる"とはよく言ったもので、本当にそうだと感じる事が増えました。

 

その中のひとつ。

 

 

"ようやく泣く事ができるようになった"

 

 

これは、このプロジェクトを通じてようやく父の死というものを受け入れる事ができたのだと、自分で自分を理解しました。今更ながら。

 

 

 

大人なのだから立派に生きなくてはいけない

 

父の誇りに思ってもらえるような娘にならなくてはいけない

 

性格が似てるとすごく言われてきたのだから私が父の代わりになるくらいの勢いで

あの明るさも笑顔も引き継いでいかなくてはいけない

 

すごく頼りになる人だったからこそ

今度は自分が母の頼りになる人間にならなくてはいけない

 

 

世の中にはもっと辛い人たちもいるのだから

 

 

そう言い聞かせて必死に前だけ向いて生きてきた、10年余りでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもなんていうか、どこかのタイミングで悟ったんですよね。

 

 

 

 

ああ、何したってツライものはツライよね。と。

 

 

 

世界に1人しかいない自分という人間の生き様や性格、家族、家族それぞれの性格、家族への想いの強さ、DNA、経験、感情、すべて踏まえた上で、

 

 

 

 

他人と同じなわけがない。

 

 

 

 

 

自然に湧き上がる想いを誰かや何かでジャッジして、押し付けるのも押し付けられるのもナンセンスでしかない。

 

 

 

 

自分の感情を自分がまず受け入れて認めてあげなければ、私は人間でなくなると。

 

 

 

 

それゆえに、自分以外の人に寄り添える事がどれだけむずかしく、それでも寄り添いたいと思う気持ちがどれほど尊いものなのかを、改めて感じるようになりました。

 

 

もちろん、善意の押し売りになってはいけません。

 

このバランスも、とても難しいものです。

 

 

 

 

私は自分の得意な音楽という手段で、自分も少なからず経験してきた心の痛みに、少しでも寄り添いたいと思うようになりました。

 

 

 

極限までひとりで考え抜いたからこそ、まずはここに辿り着けたのかな、とも思います。

 

たまには親友や恩師に心の内を聞いてもらうこともありますし、一緒に笑えることに心から感謝しています。

 

 

それでも最後はやっぱり、自分が乗り越えられるか、というところになりますよね。

 

 

 

だからこそ、私は父のことで自然に泣けるようになるまでに10年かかりました。

 

 

実にノロマちゃんですね。

 

 

 

 

 

 

大好きでした。

 

たくさん喧嘩もしたように思うけど、今となっては大事すぎる時間でした。

 

喧嘩できてよかった。幸せだった。

 

でも喧嘩したってことはあの頃は感情が瞬発的に出せたのかな?🤫

 

いやちがうか、相手が父だったからなのか。

 

 

 

今も生きてくれていたら、もしかしたらそんなこと思えないほどのスーパーミラクルガキンチョだったのかもしれません。

 

 

 

そういう意味では、予期せぬ難病の家族の闘病・在宅介護という抗えない運命の痛みを背負った分、あの頃よりもほんの少しは父に近づけたんじゃないかと思います。

 

父方の祖母や母や兄の心のケアも、自分がどういう自分であれば良いのかと、ずっと考えて生きてきました。(おそらく無力・無意味でしかなかったと思います)

 

祖母は自分より先に息子を送ってからは急激に元気を無くしてしまい、それからわりと早くに天国に旅立ってしまいました。

 

思えば父の意識が急に途絶えた時も、祖母が倒れたその時にも、私は偶然家にいて、すぐに飛んでいきました。

 

頭は驚くほど冷静で、救急車を呼びました。

 

自分の心臓の音だけが耳の奥で嫌な音を立て続けていたことを、よく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20代半ばで法人を設立する時も、

 

ほぼ話せなくなってしまった父が振り絞るように

 

"社会的信用があってこそ仕事だから、設立したほうがいい"

 

と、アドバイスをくれました。

 

若いのにすごいと思われたいとかそんな気持ちは微塵もなく、むしろ隠しておきたいくらいでした。世の中の起業家の方々がとても眩しくて、なんだか小さすぎて、恥ずかしくて。

 

それでもどんなに小さくても、安心してお仕事を任せてもらう為には必要な受け皿であったと自覚しています。

 

 

今思えば若さゆえの度胸と勢いでしかなかったんですが、それでもこじんまりした小さすぎる会社も11年目を迎えようとしています。

 

 

遺してくれた言葉と思い出で、今を切り拓くことができました。

 

ありがとう。父さん。

 

 

 

あのー、念の為に書いておきますけども、別に"ええ話書きたい"とか、"お涙ちょうだい"的な事を話したいんじゃないんです。

 

 

自分の心の変化を記録しておこうと思っただけの、そしてプロジェクト内にはとてもじゃなけど書ききれなかった、ただの独り言でございます。

 

 

 

本職はアーティストなので。

 

 

 

 

種類は違えども人それぞれ

 

行き場のない、やり場のない想いに心が支配されてしまうことってたくさんあると思うんです。

 

 

 

最終的には、自分で乗り越えなきゃいけない

 

でも

 

ひとりじゃないよって言いたい

 

 

 

 

あなたの感情はあなただけのものであって

 

それを他人がどうこうできるものじゃないからどうか安心していっぱい泣いて笑ってねって

 

うーんなんだろむずかしいな、それじゃほっといているような、冷たく聞こえてしまうかもしれない

 

それでも私は、振り返るとそんな優しさが欲しかったように思う

 

あ、そうかそういう曲を描けばいいのか💡

 

 

 

 

 

みんな言わないだけで、言えないだけで

 

必死に平気な顔して一生懸命生きてるから

 

どうか自分だけは、自分を褒めてあげてくださいね

 

誰に何を言われようとも、自分だけは、自分の味方でいてあげてくださいね

 

感情の整理が、うまくつかなくっても。

 

 

 

 

 

 

なんかこう、最近の自分は

 

ストッパーみたいのがはずれて

 

散歩してても父の残像が過ぎって

 

なんかそれが温かくて泣けるようになりました

 

声もほとんど思い出せなくなっちゃったけど

 

ものすごい歌がうまかった父。

 

皆さんにも聴かせたかった、心から。

 

 

 

ちなみにちょっと前まで

 

こんな風に心から直線方向で思い出そうとすることもできませんでした

 

何かを迂回してからリアリティがあまりなく思い出してたって感じです。

 

意味わかりませんよね。すみません。

 

 

自分に父親がいるのか?いたのか?

はじめからこの人生にいなかったのではないか?

あんな辛そうな姿を、辛い思い出を記憶の中に留めておきたくない、きっと夢だったのかも。

 

そんな風に考えなければ、とてもではないけれど目の前の荒波や高い壁を越えて行く事ができなかったように思います。

 

 

 

 

でもそんな自分を経て、今の自分があります。

 

全部が自分です。

 

繋がってました。

 

ぜんぶ経験できてよかった。

 

 

じゃなきゃきっと、今までもこれからも、出逢う人たちの痛みに音楽で寄り添えないと思うから。

 

 

 

10年かかりましたが、ようやく心の中に父がいてくれるようになったように思います。

 

 

 

父の日です。

 

 

そうか、だからこのタイミングだったのか。

 

 

一緒にお酒を飲みたかったな。都内の素敵だなってお店、一緒に行きたかったな。

 

yosuを支えてくださるたくさんの人たちを、あなたに紹介したかったな。

 

きっとすぐに仲良くなっちゃって

 

私が知らない時にも皆さんと飲みに行っちゃったりしてたんだろうな…🫨笑

 

 

 

ウィスキーが好きなのはあなた譲りです。

 

コーヒーが好きなのは母譲りです。

 

父はコーヒーが飲めず、母はお酒が飲めないけれど、

 

私はあなた達ふたりとそれぞれにお酒もコーヒーもいけるように、見事にカスタマイズされました。

 

そんな環境の中、どちらからのかわいい夫婦の愚痴も聞かせてもらっていたように思います。

 

 

 

 

 

見守っていてください。

 

あなたが命をかけて最期に教えてくれたことを、私は必ず形にします。

 

教えてくれたこと、というよりも

私が自分で勝手に考えて志になったことですね。

 

きっとあなたは今でも、シンプルに私が元気に幸せで楽しく生きていてくれることだけを望んでくれていることでしょう。

 

 

 

ずっと心配かけてごめんなさい。

ゆっくり眠ってください。

 

ポンコツな娘より。

この世でいちばん尊敬している、天国の父へ。

 

 

2024.6.16

 

 

yosu

 

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※何口でもご支援いただけます。応援よろしくお願いいたします。

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ハッピーエール

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●活動報告書(PDF )お送りします。

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