優しい歌で医療福祉に貢献し、神経難病研究に寄付したい!
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支援総額

3,332,000

目標金額 3,980,000円

支援者
157人
募集終了日
2024年8月8日

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2024年09月01日 17:30

彼がサンタになったのは(2020年12月執筆記事より)

※yosuのオフィシャルブログより転載いたします。

※2020年12月に書かれた記事です。

 

 

 

-----------

 

 

 

 

 

 

彼がサンタになったのは、6年前のことだった。

 

 彼はとても甘いものが好きで、僕が仕事柄いただくスウィーツのそのほとんどは、いつも彼の胃袋におさまった。

 

とんでもなく大きなケーキをいただいたときも、今日はこのくらい、今日はこのくらいと食べ進め、はなちゃんに叱られようが、僕に呆れられようが、お構い無しだった。

 

公演の事後処理を終えて、時間がようやくできて冷蔵庫を覗けば、いつもケーキは無くなっていた。

 

 

僕が甘いものに執着のない人だからよかったものの、女子力高めなスウィーツ大好き人間だったならば、猛烈に腹を立てたに違いない。

 

 

 

 

 

彼はサンタになる前、とても心配症だった。

 

僕や兄の帰りが遅くなるとすぐにメールを打った。

 

それはそれは、丁寧な文章だった。

 

おまけに明日の天気予報に気温まで。

 

早く帰っておいでと、押し付けるわけでも、叱りつけるわけでもなく、非常に優しくわかりやすい文面で。

 

 

目がチカチカするような動く絵文字が散りばめられたメール画面は、誰に教わったんだとつっこみたくなりつつも、底知れぬ愛が見え隠れした。

 

 

かと思えばはなちゃんには、「まだ帰ってこない、まだ帰ってこない、大丈夫なのか」と何度も何度も確認しては、はなちゃんをげんなりさせた。

 

でも翌日はケロッと「おはよう!よく眠れたか」と僕達に声をかけた。

 

どんなことがあっても、どんなに喧嘩しても、朝はかならず「おはよう」が響いていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

彼がサンタになる5ヶ月前、僕は人生で初めて救急車を呼んだ。

 

自分が運ばれたことはあったけど。その時は、彼に心配かけてひどく叱られたっけ。

 

そんな彼が、彼でなくなってしまったような気がして、目の前の現実がとても怖かった。

 

手が震えた。

声が震えた。

自分の頭が冷たくて、電話口の声に全ての神経を集中させないと、現実世界に八つ裂きにされそうだった。

 

 

それでも冷静さだけは、失わなかった。

 

ベッドの傍に放り出されたメガネを持って、割れないように、傷つかないように大事に持って、自分の車で救急車を追った。

 

 

幸い、症状は安定した。

暑い暑い、夏の日だった。

 

この日から、元気になぁれの不定期便を、仕事の合間に病院に届けることにした。

 

この日、夕方から僕が出演するワンマンライブだった。

お客さんには悟られまいと、必死だった。がむしゃらだった。変な汗をかきながらも、なんとか無事にやり遂げた。

 

 

 

⭐︎

 

 

彼がサンタになる2日前、

 

すっかり当たり前になってしまった在宅での看護を終えたはなちゃんがその場を離れ、僕も自分の部屋に向かおうとした。

 

彼は芸名の僕の名を呼んだ。

おそらく、無意識に。

 

夜中の2:30。

彼はいつもそうだった。

 

彼の馴染みの居酒屋には、お客さん専用の名前入りの靴箱があった。

 

そこには何故か僕の芸名が記されていた。

 

僕じゃなくて、ここはあなたの名前を書くところだと、照れ隠しにつぶやいたのは一体何年前のことだったのか。

 

おかしいな、そう遠くはなかったはずだ。

 

なぜこんなことになっているのか、涙がこぼれそうになる。

 

なぜ戻らないのか、なぜ元気にならないのか、なぜ自分はこんなにも無力なのか

彼の大好きなはなちゃんの笑顔は、どこに消えたのか

 

なぜ奇跡は起きないのか

なぜ神様はいないのか

 

なぜこの不幸は此処を選んだのか

 

なぜ、なぜ、なぜ

 

この日も、仕事で2本のステージをこなしたあとだった。くたくただった。

 

泣いてる余裕はない。

人前に立つ者に、目を腫らして良い理由などひとつもない。

 

翌日も7:00起き。

 

最高のステージを、作らねばならない。

 

玄関に翌日の衣装の支度をして、おやすみと呟いた。

 

翌朝、オルゴールに起こされた。

 

そんなはずは無いと思った。夢かと思った。しかし、現実だった。

 

巻き取り式のオルゴール、巻いたことなんてここ10年無かった、ただの飾りになっているオルゴールだった。

 

それでも優しく、揺り起こされた。

 

彼の仕事場のデスクにいつも置いてあったものを、自分の部屋に貰ってきた、あのオルゴールだ。

 

連日の公演の疲れと眠気と正気の混濁する頭でようやく体を起こした次の瞬間、泣きそうな声が聞こえた。

 

はなちゃんだ。

 

何が起きたのか分からなかった。

心臓が耳の奥の方で嫌な音を立てた。

 

着の身着のまま階段を駆け降りる。

 

次の瞬間全てを悟る。

 

受話器に手をかけた。

 

嗚呼、たぶん、だめだ。

 

もう間に合わない。

 

なぜ、いつ、脈は、言いかけてやめた。

 

 

彼が僕に伝えたいことを、悟ってしまったのだ。

 

それでも、それでも、人生2度目の救急車を呼んだ。

 

震えない。動じない。怖くない。

言い聞かせるしかない。

 

 

心臓マッサージの方法を電話口に聞きながら、心臓部分には手術痕があることもきちんと伝えながら、なんとか正気を保った。

 

 

 

この日も、寂しそうに放り出されたメガネを抱えて、大事に大事に抱えて、自分の車で救急車を追った。目が覚めたとき、何も見えないんじゃ困るから。

 

それはとても、困るのだから。

 

あなたに似て右目より左目の方が度数が高い僕だから、だから、だから。

 

 

 

 

 

この日から、年末にかけてのすべての仕事をキャンセルしなくてはならなくなった。

 

謝罪の電話をかけた。

片っ端から、かけた。

 

残念そうな声と心配そうな声が混ざり合った声に、どんな答えを準備すればいいかも分からず、ただただ謝るしかなかった。

泣きながら、病院の片隅で小さくなって謝るしかなかった。

ごめんなさい、ごめんなさい、申し訳ございません、何故謝罪の言葉はこんなものしかないんだろう、これじゃぁ全然伝わらないと思った。


 

翌日早朝、美しい朝焼けだった。

地平線から太陽の光が溢れ出して、なにかを導いているようだった。

不思議と、眩しさを感じなかった。

 

窓際は隙間風が寒く、ろくに眠れなかった。

 

看護師さんが点滴しながら、

 

今、全力疾走して走っているくらいの脈の状態なんですよ、とても頑張っていますよ

 

と伝えてくれた。

 

 

彼に目を落とす。

 

 

辛かった。

 

 

 

 

もう、頑張らなくていいよって言いたい。

 

でも、二度と会えなくなるのはまっぴらだ。

 

前日医師から告げられた言葉が脳内に反芻し、どれだけ奇跡が起きても、元に戻ることなんかないと、わかっていた。

受け入れなければいけなかった。

 

だからもうそんなにがんばらなくていいと、心から思った。

 

きっともう、ものすごく疲れているよね。

 

 

メガネは主を待っていた。

僕は綺麗にしておいて、またかけてもらえるようにそこに置いた。そっとそっと、メガネは傍で待っていた。

 

 

 

 

⭐︎

 

 

メガネは遺影の前に置かれた。

 

なんだかすこし、似合っているような気さえした。

 

彼はサンタクロースになった。

サンタの飾りも隣に並んだ。

 

甘いものが大好きだったし、皆でワイワイするのが大好きだったから、みんなに忘れられないこの日を選んだんだよねぇとはなちゃんが言う。

 

兄が日本酒片手に物言わぬサンタの側にいく。肩が震えている。

 

無口だけど、誰よりも優しいその肩が震えたことが堪らなかった。それなのにどこか温かい風景だった。どんな素晴らしい絵画よりも、胸を打つ。

 

半身をもぎ取られたみたいな自分の心が、確かにそれを感じていた。

 

 

彼は甘いものが大好きで、とても優しく、とても明るく、博学で、とても愉しい人だった。

 

どれだけお人好しだとつっこみたくなるほどに、実にさまざまなものを、たくさんの人に与え続けてくれた。

 

小さな街の小さな病院の院長だったから、先生、先生、と慕われた。

 

小さなお友達もお線香をあげにきて、「先生が運動会を見にきてくれたの」と伝えてくれた。

 

 

最期に呼ばれたのも、結局本名ではなく、芸名だった。

 

裏を返せば、誰よりもその芸名である僕のことを応援してくれていたのだろう。

 

無意識下でさえ、そうだったのだから。

 

ありがとうが、止まらない。

 

溢れ出して、止まらない。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

 

彼がサンタになって6年。

 

ようやく受け入れることができたように思う。

 

すぐになんて、おそらく無理だった。

 

平気なふりを続けなければ、前を向けないこともまた事実だった。

 

そうして皆、空虚感に足を掬われそうになりながら、大人な顔して今を生きているんだ。

 

"その人がいなくなるのは、もうその人が居なくなっても大丈夫な自分になるからなんだよ"と優しい声で教わった。

 

ヒゲの社長に教わった。

ヒゲの社長も若い頃からそうして前を向いて生きてきた人だから、僕は尊敬の眼差しで頷いた。

 

 

 

でも正直、全然大丈夫じゃなかった。

何故いなくなったと、ずっと思っていた。

まだまだ、教えて欲しいことは山ほどあった。

 

それでも、負けてたまるかと思った。

 

 

 

いくら大人ぶったところで、中身はクソガキでしかないこと、今も痛いくらいに気付かされる。

 

痛みの感受性も、人の数だけ種類がある。

 

結局最後はひとりでなんとか乗り越えるしかない。

 

でも、サンタは季節に関係なく、多くのプレゼントを与えてくれたのだ。

 

サンタになる前から与え続けてくれたのに、サンタになって目の前からいなくなっても、今もずっと。ずっとだ。

 

そばにいてくれる奇跡も、巡り合いの尊さも、限りある命の儚さも、イビツで不完全な心は、寄り添わせてもらえるためにあるのだということも。

 

もう少し共に生きてみたかったと、本音はそうだけれど、認めたくなんかないけれど、無くしたことで得た世界も、たぶんそれはそれで、美しいもの。

 

 

見えなかった景色の尊さに、彼が出会わせてくれたんだと思う全てのご縁に、感謝して今を生きる。

 

生きていることだけが、前を向くことだけが精一杯の時もある。そんな時に夢を語れだなんて、苦しいこと言わないでくれって思うこともある。

 

痛みを知らなければ、強ささえも手に入れることはできない。

 

そうして誰もが自分にしかわからない傷を隠して、今日も穏やかに笑い合う。

 

笑い合う場所があることもまた、奇跡なんだと思う。

 

あなたが、あなたでいてくれてありがとう。

 

“大事にしたいものを大事にするためには、必要な痛みだった”と思える日に巡り合うために、僕らは今を生きていく。

 

それが明日なのか、10年後なのか、30年後なのかは知る由も無い。

 

むしろ答え合わせが訪れたなら、とんでもなくラッキーなことだって、思った方が良いんだろう。

 

僕らが出会えた奇跡を、今この時を、共にこの時代に生きることができた喜びを、笑顔で繋いでいけたらいい。

 

 

 

わがまま言えるなら、僕のこの音楽が、君の笑顔に寄り添えればいい。

 

 

 

会えない日々が続いても、音楽だけは、君と僕とを引き裂けない。僕はそう信じてる。今でも。

 

 

 

 

そんな音楽を、僕に授けてくれてありがとう、サンタクロース。

 

君は僕の、たった一人のヒーローだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼がサンタになったのは。/完

 

 

 

 

yosu拝

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