佐藤晴彦先生遺著『近世漢語の新研究』の刊行
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寄付総額

2,610,000

目標金額 5,700,000円

寄付者
187人
募集終了日
2024年12月30日

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2024年10月27日 11:57

プロジェクト27日目

この週末もご支援とメッセージをどうもありがとうございました。

『近世漢語の新研究』第一章「『三言』における馮夢龍の創作」第二節「『古今小説』編」の1.2.1「『古今小説』における馮夢龍の創作―言語的特徴からのアプローチ」の冒頭部分は以下の通りです: 

 

 はじめに
 『三言』に収録されている120 篇の作品がそれぞれどの時代に成立したか、そのうちに馮夢龍の創作があるのかないのか、あるとすればどの巻なのか等々の問題について、これまで主として文学的な立場から多くの議論がなされてきた。
 しかし、その多くが、あるいは王朝名を、あるいは年号を、あるいは地名等をその根拠にしたりしており、あまり説得性があるものとは思われないものが多い。もし、王朝名、年号、地名等を根拠とするならば、それは明人の作か、明代に手が加えられたものと判定する場合にのみ有効である。何故なら、明人であれば宋元時代の年号、地名等を模倣できても、宋人元人が明代のそれを模倣することは絶対にできないというごく当たり前の理由による。
 宋元話本に似せて明人が作ったものを「擬話本」と称しているが、考えてみれば、宋元話本に「擬」せるためには、王朝名、年号などは真っ先に「擬」せねばならない点であり、同時に最も「擬」しやすい点ではなかろうか。巌敦易氏が “故宋” を根拠に元代の作と推定したのに対し、周妙中氏が「“故宋” 二字明人未嘗不可以用」と批判したのは、その意味で全く正しい。
 それではどのような事を根拠にすれば、より説得力のある議論ができるか、ということが問題となろう。そこで小論では、語学的な立場からひとつの試論を提起してみようと思う。

 

引き続きご支援をよろしくお願いします。

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