ウガンダ人・難民の柔道家に国際大会参加のチャンスを
ウガンダ人・難民の柔道家に国際大会参加のチャンスを

支援総額

588,000

目標金額 500,000円

支援者
61人
募集終了日
2019年3月7日

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2019年02月12日 23:51

私のこと①(柔道開始からアフリカとの出会いまで)

簡単ですが、私自身のことを少し書いておきたいと思います。

特に柔道とアフリカとの関わりを中心にして書いていきます。

 

■柔道家として

 柔道を始めたのは中学校へ上がる少し前、小学校6年生の頃でした。進学予定だった中学は、不良の巣窟のような学校だったこともあり、体を鍛えておくべきだと考えた母親が、近所の方のつてで私を道場へ連れて行きました。大阪城公園の中にある修道館が私の最初の道場でした。

 中学時代は大した成績も残さず、高校へ進学。中卒で「寿司の修行を始める」と決めていた私に母親が「高校ぐらいは出てくれと懇願」。普通に進学する気のなかった私は、何を思ったのか、武道専門の高校へ。大阪市立汎愛高校武道科の一期生になりました。結局、大阪で3位(-71kg)という中途半端な成績を残し卒業。「大学は文化人類学を勉強する」と、寿司修行を保留にして大学へ進学。入学した大学に柔道部はありませんでしたし、大学入学とともに独立し、勉強しながら学費と生活費を稼ぎ始めた私に柔道を続ける時間はありませんでした。

 

※ちなみに汎愛高校の後輩にはロンドン五輪銀の杉本さんがいます。協力隊から帰ってきて何も知らずに軽い気持ちで乱取したら投げられそうになったのを今でも忘れない。

 

■アフリカとの出会い

 大学で学んだ学問は、文化人類学。高校時代に読んだ山口昌男『文化人類学への招待』(岩波新書)の影響です(この部分を書くと長いので割愛)。

 京都の宇治市にある京都文教大学人間学部文化人類学科で学び始めた私が偶然迷い込んだのが東アフリカ・ケニアでカンバと呼ばれる人々を研究していた恩師でした。そしていつの間にやら「寿司屋になる」目的を忘れた私は「アフリカへいく」といいはじめ、1998年、青年海外協力隊の支援を受けたのです。(つづく)

リターン

3,000


お礼のメール

お礼のメール

試合の結果、選手からの感謝の声を含んだメールを送らせていただきます。

申込数
36
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2019年4月

10,000


アフリカの柔道家に夢を

アフリカの柔道家に夢を

試合の結果、選手からの感謝の声を含んだメールを送らせていただきます。

申込数
14
在庫数
36
発送完了予定月
2019年4月

3,000


お礼のメール

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10,000


アフリカの柔道家に夢を

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2019年4月
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