平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ 2枚目
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ 3枚目
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ 2枚目
平城宮跡・宇奈多理坐高御魂神社|重要文化財 本殿に次ぐ境内修復へ 3枚目

支援総額

8,185,000

目標金額 3,000,000円

支援者
396人
募集終了日
2025年11月14日

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2025年11月13日 15:51

<残り1日> 高御魂尊という神様が大切な理由についての考察

とうとう最終日前日となりました!

ここまでたくさんのお力添えを本当にありがとうございます!

 

 

スクリーンショット 2025-11-13 11.17.24.png

 

 

<残り1日>となったところで、何をお伝えしようと考えたところ、先日『聖武天皇』のお話しは書きましたが、宇奈多理坐高御魂神社の主祭神である『高御魂尊』や『藤原不比等』について、概要に書いた以上の事を伝えていないと気がつきました。

 

という事で、本日は宇奈多理坐高御魂神社の本質ともいえる『高御魂尊』と『藤原不比等』についてのお話しを書かせていただきます。

 

 

IMG_5243.jpg

 

 

遠い歴史の中にある、自分にとっては無関係の存在たち。

そんな遥か遠くの祈りにご縁を結んでいただける機会がこのプロジェクトです。

 

 

そんな風にプロジェクト概要の最後の方に書きました。さて宇奈多理坐高御魂神社に限りませんが、神社というものは古代から継承されている「祈り」をカタチにしたものです。


宇奈多理坐高御魂神社に託された「祈り」について、最初は末社にずらり並ばれている神々が天孫降臨を成功に導いた神々なので、藤原不比等が孫の首皇子(後の聖武天皇)が無事に国を治められるように、その守護のためというプライベートな理由で鎮座させたのかと思いました。

 

神話では天孫降臨に付き添わない『高御魂尊』という神様まで降ろし、首皇子を守らせたのかと想像したんです。

 

 

でも概要でも紹介した、奈良市の激震区を抑え込むように置かれた平城京に気がついて、そんなプライベートな祈願で『高御魂尊』を御鎮座させたのではないと感じました。

 

もし藤原家の繁栄を願うのなら、平城京の西エリアに都を置くと思ったからです。被害の抑えられるエリアを選ぶのが自然です。

 

 

スクリーンショット 2025-06-12 12.13.33.png

 

 

藤原不比等と白鳳地震、主祭神 高御魂尊について

 

「高御魂尊」の御神威は「生成」です。 それは何も無い所から、あらゆるものを創り出す力……エネルギーそのものです。  だからこの地に宇奈多理坐高御魂神社という存在だったのではないか。

 

 

 

そんな風にも概要に書いたのですが、後になって「何も無い所」というのが、大津波の被害にあった場所を指すのではないかと思うようになりました。藤原不比等は政治の中枢に進む以前の25歳のあたりで、白鳳地震という内海トラフ地震を体験しています。南海トラフといえば、大津波の被害が甚大だったはずだからです。実際に白鳳地震は、日本の歴史上で初めて記された津波の被害記録でもあります。

 

 

当時の都だった飛鳥浄御原宮や現在の奈良市あたりは、海からの距離もあり津波の被害はなかったと考えた時に、壬申の乱の後に不比等さんが田辺史大隅という人の元に匿われていたという事から、田辺史が暮らしていた地域を調べる事にしました。そこが海岸に近かったのでは? と推測したんです。

 

田辺の地である大阪府柏原市国分町を地図で確認(下の地図の赤丸部分です)すると、想像とは違い、かなり海岸から遠い場所という事が分かりました。海岸に近いエリアは埋立地で、古代はもっと海が近かったと思いますが、それでも相当距離があります。

 

 

スクリーンショット 2025-11-10 23.29.51.png

 

 

地図を拡大して見ると、川が流れているのが確認できました。その川の名前は『大和川』

 

以前、三輪坐惠比須神社の宮司様から「今の大和川は狭いけれど、昔は遣唐使船の港があったくらい大きな川だったんですよ」と教えてくださっていたのを思い出しました。

 

 

下の地図の右下の白い部分が、三輪あたりになります。赤い部分が大阪府柏原市国分町ですから、当時で考えると中間地点よりも海側になります。遣唐使船が行き来していた当時の大和川……きっと川幅もある大きな川だったと予想されます。

 

 

スクリーンショット 2025-11-10 23.33.41.png

 

 

更に拡大すると、柏原市国分町あたりのエリアは、川が南に枝分かれしている上に、大和川はN字型に湾曲していました。

 

 

スクリーンショット 2025-11-10 23.31.06.png

 

 

大和川を逆流してきた大津波はN字カーブと分岐によって溢れ返り、この辺りに甚大な被害をもたらしたのではと思ったんです。

 

 

白鳳地震のあった当時に藤原不比等がどこにいたかは定かではなく、柏原市国分町には既に暮らしていなかったかもしれませんが、田辺氏からの教えを得ていた "自分にとっての大切な場所" が津波被害で壊滅状態にあったとしたら……なんとかそこにまた『暮らし』や『学び』を取り戻すための『町づくり』を祈念しただろうなと感じるのです。

 

 

痛みや苦しみは、乗り越えようと顔を上げた者にとっては、ものすごい力となります。地震と津波の被害を受けた記憶の中に生きたからこそ、藤原不比等はなんとしてでもこの国を立ち直らせようと挑んだのだと思うんです。

 

 

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宇奈多理坐高御魂神社の名は「日本書紀」に登場し、692年に持統天皇が現在の伊勢神宮、住吉大社、紀伊神社(春日大社の奥の院)、大倭神社と共に供え物をしたと残されています。

 

 

以下の2枚は、J-SHIS地震ハザードステーションさんで確認できる資料ですが、緑色が「海溝型地震発生領域」=関西の場合は南海トラフ地震の発生領域となります。

 

 

スクリーンショット 2025-11-13 11.56.31.png

https://www.j-shis.bosai.go.jp/map/

 

 

持統天皇がお供えをした五社は、全てその緑色に塗られている場所に祀られているお宮です。白鳳地震が684年なので、お供えをした692年は震災から8年後という時期になります。

 

 

スクリーンショット 2025-11-13 12.01.11.png

https://www.j-shis.bosai.go.jp/map/

 

 

白鳳地震によって痛手を負った神社に対し、持統天皇は護持し敬い奉る姿勢でいらしたのでしょう。

 

 

宇奈多理坐高御魂神社が閉ざされた神社でありながらも、国指定重要文化財として今も継承されているような本殿を持つのは、大きな震災の後におかれた 国家というものに必要な「生成力」を授ける神様 が祀られているからではないでしょうか。

 


震災は無くなる事はありません。

いくら様々なものが進化して、事前に探知できたり建物を強くできたりしたとしても、震災自体をどうこうする事は難しいです。

 

 

だからこそ、何度震災に遭ったとしても折れたりしない強い国力のために。

 

"我らの暮らしを生成するための守り神" として、高御魂尊を祀り続けていくのだと思うのです。

 

 

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宇奈多理坐高御魂神社が「縁結び」や「商売繁盛」のような、神社でよく見る伝わりやすい御神徳のアピールをする事はあまり考えられません。

 

でも「みんなが生きるための根源的な部分への守護」という事を感じる方々によって、古代からずっと祀られてきたし、このプロジェクトでも目に見えない部分で気付いてくださる多くの方々に、お力添えをいただいているのだと感じています。

 

 

藤原不比等がその人生の原動力にしたであろう白鳳地震への恐怖は、今を生きる私たちと同じです。

この国に生きる私たちは、いつだって、そしてどの時代だって自然から豊かさと脅威の両方を与えられてきたのです。

 

 

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と、話しが壮大になりましたが、実は聖武天皇はしっかり神々に守られていらっしゃいまして。

日本では長寿を祝う風習がございますが、聖武天皇の40歳を「初老の賀」として祝ったのが始まりとされています。聖武天皇の御代は災害や疫病で大変な時代でしたが、病弱とされながらも当時としては長生きをされました。

 

 

 

国家というサイズでの祈願も、個人的な祈願も、宇奈多理坐高御魂神社の神々はしっかり受け止めてくださるようです。神様は日本では「鏡」としてその御神体が置かれます。皆様が「力添えをしたい」と行動してくださった想いに対して、神々は同様に返します。あなたに対して神々は「力添えをしたい」とお考えです。

 

 

だからぜひ、あなたの目指す事に対してその人生を輝かせてください。

高御魂尊様も不比等さんも、そんな今という世がある事を喜んでいらっしゃると思います。

 

 

 

 

宇奈多理神社様top2枚目.png

 

 

遠い歴史の中にある、自分にとっては無関係の存在たち。

 

そんな遥か遠くの祈りにご縁を結んでいただける機会がこのプロジェクトです。

 

 

 

 

今回記した事も考察に過ぎませんが、教科書で出会う先人たちの想いも今に生きる私たちの想いも、なんら変わらずで、人は「祈り」を守り続けたいと行動するものなのだなあと感じます。

 

 

このプロジェクトで御神縁を結んでいただけるのは、明日14日の23:00まででございます。
24:00ではなく23:00になりますので、ぜひ余裕を持ってのご参加をよろしくお願いいたします。

 

最後まで、ご支援・応援を心からお待ちしております。御神縁に感謝。

 

 

 

リターン

30,000+システム利用料


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①宇奈多理坐高御魂神社散策ツアー

【10月24日 最終目標へのラストスパートに向けて追加!】
宇奈多理坐高御魂神社を中心に、周辺の史跡、海龍王寺などをご案内いたします。宇奈多理坐高御魂神社では、参拝のほか、宮司による雅楽の解説や龍笛の演奏などをお楽しみください。

●お礼状
●芳名帳にご芳名を記帳(希望者)
●本殿御用材御守り
●宇奈多理坐高御魂神社散策ツアー※

※2026年10月12日(月・祝)に実施を予定。13時30分ごろにバス停「平城宮跡・遺構展示館」に集合し、所要時間は2時間〜2時間半程度です。詳細については2026年8月末までにお知らせいたします。現地までの交通費・宿泊費等はご負担ください。

申込数
4
在庫数
16
発送完了予定月
2026年11月

5,000+システム利用料


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②末社屋根の銅板へのお名前書き入れ

【10月24日 最終目標へのラストスパートに向けて追加!】
第二目標の達成によって実現します、末社屋根の銅板への葺き替え。
宮司直筆でお名前を書き入れ、葺き替えさせていただきます。(お名前は表面からはご覧いただけません)

●お礼状
●芳名帳にご芳名を記帳(希望者)
●末社屋根の銅板へのお名前書き入れ

申込数
32
在庫数
68
発送完了予定月
2026年11月

30,000+システム利用料


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①宇奈多理坐高御魂神社散策ツアー

【10月24日 最終目標へのラストスパートに向けて追加!】
宇奈多理坐高御魂神社を中心に、周辺の史跡、海龍王寺などをご案内いたします。宇奈多理坐高御魂神社では、参拝のほか、宮司による雅楽の解説や龍笛の演奏などをお楽しみください。

●お礼状
●芳名帳にご芳名を記帳(希望者)
●本殿御用材御守り
●宇奈多理坐高御魂神社散策ツアー※

※2026年10月12日(月・祝)に実施を予定。13時30分ごろにバス停「平城宮跡・遺構展示館」に集合し、所要時間は2時間〜2時間半程度です。詳細については2026年8月末までにお知らせいたします。現地までの交通費・宿泊費等はご負担ください。

申込数
4
在庫数
16
発送完了予定月
2026年11月

5,000+システム利用料


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②末社屋根の銅板へのお名前書き入れ

【10月24日 最終目標へのラストスパートに向けて追加!】
第二目標の達成によって実現します、末社屋根の銅板への葺き替え。
宮司直筆でお名前を書き入れ、葺き替えさせていただきます。(お名前は表面からはご覧いただけません)

●お礼状
●芳名帳にご芳名を記帳(希望者)
●末社屋根の銅板へのお名前書き入れ

申込数
32
在庫数
68
発送完了予定月
2026年11月
1 ~ 1/ 22


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